ウェリントンで日本映画祭があり、日本映画をみています。この行事は毎年あるらし去年はまだニュージーランドに住み始めていなかったので今年が初めて。国際映画祭が有料だったのに日本映画祭は無料!太っ腹です、日本大使館主催、外務省ありがとうございます。無料という事で、チケットが一時間前からくばられ満席になったら入れませんが、ほぼ毎日満席御礼で好評です。一日目は他の用事でいけませんでしたが、2日目から見ています。
「横道世之介」沖田修一監督(1977年生)、吉田修一(1968年生)原作。高良健吾(熊本出身)と吉高由里子(アンと花)他にも國村隼などベテラン役者もでているコメディー。外国人も大声で笑っていました。設定は1988年、市ヶ谷にある法政大学に長崎から高良健吾演ずる世之介が入学しておこす「青春物語」。吉田修一筆者自身が長崎出の法政大学卒なので実大学名がでているのも納得。新地で共通点が全くない所から友達をつくり、不器用にも優しくまっすぐな目をもつ彼の周りで起きる事が最高におかしい。フランス映画ジャックタティを思い出させる「ほんのり」良い作品でした。
2時間半長い映画でしたが、ダレを全く感じませんでした。若い二人の恋愛の純真さに涙するお手伝いさんや、物質的な事に動ぜず人間の本性を大切にする世之介。「ごきげんよう」とご挨拶するお嬢様で世之介さんが大好きな祥子さん。吉高由里子は「花子とアン」でも「ごきげんよう」とお嬢様学校で給費生を経て翻訳家になる役を演じていて、地位とか周りの目をきにせず明るく自分の信念をもった役まわりが多い。好きになった世之介の実家にいき世之介の家族と屈託がなく大笑いするお嬢様。ご両親の前で、「私がこれまで一番将来の見込みがあると思った人」と一括してご両親を黙らせる所やお手伝いさんを残してさる両親も大変おかしい。さりげない気持ちをぶれない演出で表現している。
新地で友人をつくる、友人が妊娠、退学、難民、赤ん坊、バブル時代の不動産就職の同郷人、ジャズとダンスにふける兄、女性が好きになれない同級生、東京湾埋め立てをする祥子さんの父と着物姿の母、謎のシャネルバッグを持つ年上の女性と東北から来る母、色々な人が出てくる。現代の打算的な考えがなくほんわりしていたバブルがはじける時代を舞台にしている所が現代と違う。
高校と違い閉鎖的でない大学、「場の共通性」から友人を作るのは難しいかもしれないが、スクールカーストも少ない「自己主張」が可能な世界。大学での自己形成の大切さをこの映画は言っている様にも見えました。
「桐島、部活やめるってよ」吉田大八監督(1963年生)、朝井りょう(1989年生)両方とも早稲田大出。こちらは高校生5人をとりまく「青春物語」。現代の受験、部活、男子女子関係、さまざまな家庭の事情をもつ男女が「友人」の顔をしながらかかわる高校生たち。前述の世之介とは違い皆個人の欲望を隠し、外と内面の顔が違う。仲良し4人女子組を演じながらも、実は影で本音を吐く。幽霊野球部員の宏樹はまあまあ何でもできるので人気者、だた実質彼は何がしたいかわからなくなっている。
タイトルの桐島は映画に出てこないが、「桐島が部活をやめて学校に来なくなる」事から周りは大慌てで実際彼の事を良くしらないと気がつく「仲良しグループ」。「親友」「友達」って何?と初めて気づき傷つく彼女や周りの人達。桐島を待っている時間グループでバスケをしていて桐島がいなくなった後、バスケをなんでしていたか解らなくなるシーンで自分という人間や人間関係に疑問を抱く宏樹たち。
彼がやめた事で試合に出れる事になったサブ、自分を軽蔑しながらもこれもチャンスだと頑張る彼。「恰好よい男女グループ」の桐島や宏樹達、桐島の彼女の理沙(山本美月)とそれに準ずる女子グループ。橋本愛演じるかすみは一応理沙たちと付き合うが、実際は女子グループは面倒だと思っていて男子と付き合っている事を隠す。本当の友人コンセプトがここにはない。
映画部の真面目君と同じクラスで同じ映画好きからお話もあいそうだが、別世界の人なので「公」にはお話しない。グループと個人の人間関係、高校生でありながら難しい人間関係のどろどろがテーマの奥にある。
映画部の真面目君、前田涼也を演じる神木竜之介。地味で目立たないが実は彼の視点が人間関係の「ブレ」を調節している。先生に「映画のテーマは半径100メートル以内」と言われてもホラー映画を撮る。上辺だけで付き合う友人関係にホラーを感じているのかもしれない。「別世界の人」と思っていながらも宏樹の事は恰好良いと思っていて「恰好良いなあ」とカメラをまわす。宏樹にインタビューして宏樹が泣きそうになり困惑する。別世界にいってしまったと思っていたかすみ(橋本愛)から映画館で偶然声をかけられ嬉しくてコーラをおごるがどう接していいか解らず「前は話したじゃん」と彼女から言われてちょっと自信を持つ。でも女子人間関係はわからず、「ゾンビにやられるシーン」を想像してしまう。このシーンは壮快だ。
この映画の基本は
スクールカースト。この言葉をこの映画を見るまで言葉でしかしらなかったが、人間関係の流動性が低く閉鎖的な場でおこる人気度(=コミュニケーション能力)によってできる順位とそのいじめアメリカにある
ジョックに似ている。昔は
土井健朗(社会精神学者)の「裏と表」や中根千枝の「縦社会」に表されていた社会。最近はインターネットがあるので、北田暁大のオンラインで繋がる「つながりの社会性」や宮台真司や中西新太郎らが指摘している社会現象だ。島社会の中で「いじめ」から逃げるために食うか食われるかのホラーをゾンビに表すシーンも笑える。スクールカーストは何も学校だけではなく狭い世界でみられる社会現象らしい。女の格付けを描いた江尻エリカのドラマ「ファーストクラス」もそうだ。関連テーマの「自殺サークル」「紀子の食卓」もいずれ見てみたい。
暗いテーマだが女子高生が可愛い、キャンキャンスーパーモデルの美月、橋本愛。注目の若手の美しい女子達はキラキラしている。橋本愛はNHKドラマでもアイドル志望でありながら不運な目に遭う準主役を演じていて,今度は「リトルフォレスト」で主役。自然に生きる彼女と家族を描くこの映画も期待できる。
アクションやテクニックが主の3G映画と違い、個人の視点から社会問題もあっさりと現代感覚で表し、内容をじっくり楽しめる日本映画。
ウェリントンは映画をつくるウェタスタジオがあるおかげで豪華な映画館がありふんわり心地よいソファー椅子や食事までできるミニテーブルがついていたりする所もある。
ウェリントンで日本の映画を楽しんでいます。